「ゆとり教育」が日本の教育のガンかのように主張する方がいらっしゃいますが、賛同できません。
 

子ども達に学ぶ「ゆとり」をつくるために、詰め込み型の教育から脱却し、総合学習などの時間を通して、子ども達同士や社会とつながる時間を設けたわけですから、ザ・21世紀型のな教育を目指した先進的な取り組みでした。

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年前から中教審で21世紀型の学力が論じられていたので、本当に先進的でした。
ゆとり教育は1970年代から中教審でも議論されるようになり、1980年の学習指導要領改訂からスタートした教育政策でした。当日の中教審の議論に目を通してみると、当時の現場の子ども達が疲弊している状況や21世紀の社会も見据えた議論がなされていました。

子ども達に決められた教育をおしつけるのではなく、主体的に学習に取り組める時間(ゆとり)を確保し、生徒自身が自分で物事を考える力を育もうとしたわけです。総合学習などの時間を設け、その時間を活用し、子ども達が主体的に活動したり、社会とつながる時間を作ろうとしたのです。

もちろん、課題もあったわけです。「新しい教育にチャレンジしてね」と上から指令が飛び、やり方もわからないまま総合学習という時間を準備されても、、、もちろん効果的に実践できている先生もいれば、無駄な時間にしてしまっている先生がいたわけです。結果的に、
知識の詰め込む量が減少したわけですから、当然のことながらどれだけ知識を詰め込んだかを測定するテスト指標では、学力の結果は下がるわけで、そこを学力が下がった下がった!と騒ぎ、「脱ゆとり」、「ザ・詰め込み型学力の復活」は本当にナンセンスです。


ここでの課題は二つあるような気がしていて、、

  1. そもそも中教審で議論されていたような素晴らしい議論が現場に共有されていなかった。ビジョンが共有されていなければ、現場はやらされている感を持つだけです。
  2. 新しい教育メソッドの開発や方法論が確立、共有されないまま「はい、現場よろしくね」と教員にメソッドの開発を任されてしまっていた。当然の事ながら先生方にはそんな余裕はなく、相当力がある先生でない限り効果的な総合学習の時間を考案することができなかった。
これ以外にもいろいろとあると思いますが。

先生に新しいことをチャレンジさせるのに、チャレンジするための「ゆとり」を与えなかったことが本当にまずかったわけでして、次の学習指導要領の改訂に向けての先生方の労働環境や学習環境を改善していくことをしっかりと考えていかなと、同じ失敗をまた繰り返し、また10年失われます。。

早急に教員の業務量や責任と権限を見直し、先生がほとんど意味を成していない与えられた研修受動的に学ぶ環境ばかりをつくるのではなく、自主的に/主体的に教材研究や教育手法の開発に取り組める環境を整備する必要があるかと思います。

子ども達の主体性や創造力を育みたいのであれば、先生方が創造力を発揮し、主体的に教育活動に取り組めるような環境を作ることは急務です。
 
研修①