高校生クイズの第40回大会がコロナの影響で、延期もしくは中止になる可能性があるとのニュースを目にした。

今の状況からしたら、中止という判断が最終的になされたとしても、正しい判断だろうし、仕方がないとも感じる。この大会を目指して準備をしていた高校生たちは、その努力や情熱を生かしながら、オンラインのクイズ大会を開催したり、クイズゲームを開発するなどして是非とも頑張ってほしい。

さて、今日は課外活動や今年の高校生クイズ大会の話をしたいのではなく、僕自身が当時高校生クイズに参加して感じたことや、今教育に関わりながら感じていることを書きたい。

実は、僕もちょうど20年前に高校生クイズの第19回大会に出場していた高校生の一人だったのだ。それもただ単に西武ドームに行って観客席から見ていたのではなく、予選を勝ち抜き、フィールドに降り立ち、最後の決勝戦まで行き、関東大会を優勝して全国大会に進出したのである。

今となってはひと夏の思い出だが、考えてみれば僕の教育に対する考え方そのものを体現している経験だった。

松田悠介、15歳
僕は小学校~高校生まで全く勉強していない。学びにおいては空白の10年間がある。来型の学力を図る偏差値競争の中では最下層に属していた。模試での偏差値は38くらいだっただろう。

中間期末試験があるが、カンニングの手法もクリエイティブだった。バレるとまずいので、でん粉から造られる薄いフィルムのオブラート紙に小さくテストに出る年表を書いた。見つかっても瞬間的に口に入れるて証拠を隠滅することができると考えたのだ。小さなオブラート紙に細々と文字を書くのは大変で、前日からの労力は相当なものだ。時々、友人との思い出話の中で「その労力を学ぶ事に費やしていれば普通にテストも解けたんじゃない?」と言われるが、僕は記憶力が異常に悪い。

ちょっとした学習障害を抱えているんだと思う。僕は座学では全く内容が頭に定着しない、行動や経験で学ぶタイプの人間である。

そんな僕が高校の時にエネルギーを注いでいたのが体育である。僕の事を知っている人には説明する必要もないが、高校3年間は体育バカである。全ての授業を寝て、体育の授業と朝/夕の部活の練習に備えていた。100mの選手だったので、コンマ一秒の世界を戦っていた。研究に研究を重ね、技術を磨いていた。

そんな体育バカの僕が、もう一つ熱を入れていたのが「芸能ニュース」だ。今では全く興味がないが、当時は狂ったように芸能ニュースを読み漁っていた。お金もなく、電車の網棚に捨てられたスポーツ新聞を読んでは、”最新の” 芸能ニュースを入手していた。体育好きで芸能好きの僕にとっては、スポーツ新聞は最高の読み物だった。

とはいえ、日常は平凡だった。寝て、体育、寝て、部活、寝て、朝練、そして芸能ニュース。そんな、へんてつもない高校一年生のひと夏の思い出を創るために、友人が高校生クイズに応募をしていた。僕もなぜか参加することになった。

1999年夏、西武ドーム
「すぐ予選敗退するだろう」
そう思って、早く西武遊園地のプールで泳ぐために水着をカバンに詰め込み、西武ドームで出かけた。

ドームの観客席に入ると、福沢朗アナウンサーが登場して盛り上がった。19回大会は、駿台学園高等学校の定時制に通っていたプロレスラーの大仁田厚や70歳を超えるおばあちゃんも定時制高校から参加していたりとなかなか多様な感じだった。

予選が始まった。観客席で20問くらいのクイズに回答していき、ビンゴシートで一列埋まると西武ドームのグランドに降りれる形式になっていた。近くに筑駒の生徒がいたので、筑駒の生徒の回答を「参考」にさせて頂きながら、グランドに降りることができた。


グランドに降り立ったら実力勝負
グランドに降り立つと、一問ずつ回答していかないと進んでいくことができない実力勝負となる。不思議な事に僕たちのチームは前にどんどん進んでいった。歴史系の問題を天沼が回答し、理系の問題は折戸が回答し、僕は芸能系の問題を回答していった。バランスが良かったのか、僕たちは決勝へと進んだ

関東の代表を決める決勝は、早押しクイズ形式。よく覚えていないが、最後は麻布高校と決戦だった気がする。そして、最後の問題、

「広末涼子が・・・・・」の瞬間に押し、「教育学部」と回答。

全国大会行きの切符を手にした瞬間だった。その年は広末涼子が早稲田大学の教育学部に入学をした年だった。早稲田大学と回答せずに教育学部と答えた自分に拍手を送りたいところではあるが、全国大会に進めた理由を考えてみると、間違いなく歴史に詳しい天沼と理系の折戸と一緒だったことが勝因であろう。

僕一人だったら絶対に予選で敗退して、プールで一日を過ごし、なんてこともない平凡な夏休みだったと思う。


これからの時代、好きを徹底的に探究する時代
僕は教育の実践家である。今はオンライン教育、そしてグローバル人財の育成に取り組んでいる。教育の在り方を考える上で重要な事がある。それは今の時代に適応する人財を育てるのではなく、到底予測できない10年後、20年後も生き抜くために必要なマインドセットを醸成することである。

スキルや知識の教育は短期的なハードルを乗り越えるためには良いが、自分が向かうべき方向性を理解しないで取り組んでいると、その労力が無駄になることだってある。無駄と言ったら言い過ぎかもしれないが、世界/社会が向かっているトレンドを理解した上で自分の中に仮説を創っていき、その仮説を検証していくことで教育効果は上がる

そして、何よりも自分の心の奥底にある熱源を見つけていかないと長続きしない。大変でも、課題にぶつかっても、「好き」だからやり続けられるし、達成感も得られるだろう。好きな事をやり続けていると感性や直観も刺激されていく。まさにAI社会を生き抜いていける人財の条件だ。

僕は進学支援もやっているが、進学したい大学や学部から会話は一切始めない。海外進学を考えるきっかけから会話をはじめ、そこから生徒と一緒に地政学や経済動向の予測を見ながら、トレンドを理解するよう努める。

自分が今後どう在りたいのかを一緒に考え、トレンドを念頭に置きながら、自分が好きな事を突き詰めるために何を学んでいくべきなのか仮説を創る。そして、その仮説を課外活動を通して検証していく。そこからキャリアの話をしたり、学びたい内容を深めてから最後に大学のリサーチや志望校の選定を行う。日本の旧来型の受験指導とまるっきり逆の思考で進めるのだ。


好きな事に徹していると予期せぬチャンスが生まれる
高校生クイズの事例は一つの体験にしか過ぎないが、僕は教育を考える上で非常に貴重な体験だったと思っている。天沼と折戸と一緒に組んだチームはある意味理想のチームだったのかもしれない。互いの強みが上手く連動し、成果を生み出した。

これからの時代の課題解決や価値創造の在り方もそうなるだろう。何か平均的な知識を持っている集団では限界がある。何かしらの特化した情熱・知識・専門性・経験をもっている人財がプロジェクトごとに編成されて、集合知で課題を解決したり価値を生み出す時代

好きを徹底して探究していると、チャンスはいつ訪れるかわからないが、その一瞬のチャンスが訪れた時に直観的に取り組めるだろう。そして、それが新しい世界観を広げてくれる出来事になるかもしれない。

小中高校生のみんなには、「誰かの好き」ではなく、「自分の好き」を徹底的に追及してほしい。そのために学校が邪魔だと思うなら、積極的不登校を選択してもいいと思っている。


社会には無限の資源がある。その資源を最大限活用しよう。
高校生クイズの予選で筑駒の学生が目の前で自分たちの回答を大きな声で話をしているわけで、結果的にそれは僕たちが回答していく上での一つのリソースとなった。世の中もそんなもんだろう。「自分しか考えていない」なんてことは殆どありえない。誰かしらそのアイディアを実践したり、すでに事業にしている人もいるかもしれない。すでに活用できる情報は山ほどある。別にゼロからスタートして作り上げていく必要なんて全くない

これからの時代は、世の中にある情報や資源をうまく活用できるResourceful(リソースフル)な人が活躍していく時代になるであろう。前例を徹底的に調べ上げて、課題やサービスをアップデートして改良するRenovator(リノベーター)が活躍したり、既存の複数の事例を組み合わせて革新を生み出すInnovator(イノベーター)が活躍するだろう。

誤解を恐れずに言えば、多くのビジネスもTTP(徹底的にパクる)ところから始まる。既存の商品やその価値を徹底的に調べて、それをアップデートしたり、これまでのペインポイントを解消することで新しい価値を早く生み出すことができるのだ。

今の高校生はこれがとても苦手。

先日は「伝統工芸品を次世代に伝えていきたいのです」とうちの生徒から相談があった。「課題は何なの?」「既存の取り組みを徹底的に調べた?」「どうすればさらに良くなる?」「その文脈でアナタはどういう役割を果たすの?」「Aeruっていうサービスをやっている友達がいるけど、知っている?」と質問を投げてみても、本質的な回答はなかなか返ってこない。

高校生のみんなには、もっともっとリソースフルになってほしい

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この文章を読んで誤解をしてほしくないのですが、別に「徹底的にパクりましょう!」と言っているわけではない。

自分の「好き」を徹底的に探究し、リソースフルになり、直観的に行動をしながら、仮説を検証してほしい。その連続の中できっとこれまで見えてなかった世界がいつか見えるはずだ。

ということで、今日も一日「ファイアー!」
高校生クイズ